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2009年7月10日 (金)

夏の夜    「龍太語録」

横浜は三日間位、強風が続いている。特に激しい夜風は視界の外にいる植物たちが気にかかる。
nemurinnさんちからお嫁に来た「ベゴニア ク リーミーファンタジー」は無事だろうか。
それにすくすく伸びている朝顔だって心配。
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そんな夜、

『飯田龍太読本』の中の「飯田龍太語録」<実作へのヒント>をいくつか抜粋してみた。
144語録の中のほんの一部ではあるけれど。

名句は、俳人も俳人以外の人も感心するもの、秀句は俳人だけが感心する。

名句は作者の個性というものから離れていると思う。表現が非常に個性的であるという作品は、秀句の中には入るけれども、名句の中にはあり得ない。

俳句の感銘というものは、きわめて直感的なもの。一読胸にひびき、六腑にしみわたって間髪を入れないものであり、くどくど説明することによって成程と合点するような作品は、所詮二流品である。

優れた俳人は一世紀に一人か二人出るだけかもしれないが、優れた俳句はいたるところに存在する。

最後にもう一つ。
俳句は即興の詩という。たしかにその通りであるが、即興が生きるためにいちばん必要なものは、鍛えた時間の蓄積である。
と、ある。

これは説得力がある。積み重ねる時間の中で俳人の感性が育つ。時間よりも尊いものはないという処で少しほっとする。まだまだ私に時間だけはたっぷりとあるのだから。

生まれたばかりの小さなクリーミーファンタジーにさえこの世に咲いてからの確かな時間の蓄積がある。雨風に鍛えられつつ、それはこれからもずーっと続く時間なのだ。



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