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2007年4月20日 (金)

どらねこ先生

― 記憶の一番底にいる他人 ―

肉親以外での一番古い記憶の人は「どらねこ先生」。多分4~5才位の頃。隣に住んでいたのが同じ歳の弘子ちゃん。弘子ちゃんの家の一室が内科の出張所になっていた。その頃は医院の出張所というものがあって、通いで先生が昼間だけ常駐してTs380626_1 いた。近所の人達はその内科を「出張所」と呼び、「どらねこ先生」はそこの通いのお医者さんだった。私と弘子ちゃんは毎日毎日一緒に遊び、当然のことながら、私たちは診察室も自由に出入りし、どらねこ先生と仲良しだった。どら猫先生の渾名は多分先生自身がつけたのだと思う。先生との毬つき、縄跳び、ケンケン、時には花摘み籠を持って花摘みに。背がひょろっと高く眼鏡をかけ、小顔で真っ黒い髪(多分30代)だったと思う。今にして思えば、お医者さんものんびり出来た時代だったのだ。

出張所はいつの間にか無くなり、先生も居なくなった。僅か1~2年、或いはもっと短かい先生との出会いだったのかも知れない。私も普段はほとんど忘れているけれど、何年かに一度位は無性に会いたくなる。私の記憶の一番底にいる他人。もう一度会って、顔を確かめないと、その先の私の記憶が続いていかないような不思議な気持になる。毬つきや縄跳びをしたどら猫先生と私と弘子ちゃんは、あの頃確かに存在したのだろうか。どら猫先生に会えば霧が掛かった様な記憶をもう一度確認出来るのである。一流紙の第一面に「どらねこ先生どこにいますか~」と呼びかければ「ここにいるよ~」と返事が返って来そうな気がするけれど・・・。今となってはもう、母の方が先にお会いしてご挨拶を済ませているのかも知れない。そう言えば弘子ちゃんはどこにいるのだろう。

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